あれもこれもできない。できないからしたくない、の心理。

うつ死にたい

鬱(うつ)になる人は、自分で自分を責めてしまう人が多いそうです。
反対に、何もかもを人のせいにしたくなる「非定型うつ」というものもあるようです。

いずれも、思い通りに頑張れなかったり、成果が出ないことに対するもやもやをうまく処理できないでいるのです。

私自身、今も定期的に訪れるこの心理状態には毎回手を焼きます。

でも、それって本当に「できていない」のでしょうか。
そんなとき私は、同じものを違う側面から見てみるように心がけています。

「できない」は次の「できない」を生む

できない

自分はあれもできない。
これもできない。
何もできない。

だから社会にとって必要のない人間なんだ。
いるだけで迷惑な存在なんだ。

どうせ何をやったってうまくいかないのだから、もう死んでしまったほうがいい。

うつの心理状態は、こんなふうに小さなひとつのことに失敗しただけで何もかもがだめになってしまったように感じてしまいます。
おかげで、自分ができていることにうまく目を向けられなくなってしまいます。

子育てや介護の悩み

子育ての悩み

子育てや介護で悩むときも、これに似たようなことが起こっている場合があります。

「子どもが好き嫌いをして全然食べてくれない」
「今日はどうしても外せない仕事があるのに、ぐずって幼稚園に行ってくれない」
「二時間も添い寝をしているのに、全然眠ってくれない」
など、子育ては片手間では決してできない、大変な仕事です。

介護においてもそうでしょう。
「認知症の親が外に出るといってきかない」
「懸命に義母の介護しているのに、息子にしか笑顔を向けない」
「食事中に暴れてしまって手がつけられない」
など、特に老々介護の場合は介護者の肉体的、心理的負担も大きくなってしまいます。

障がい者に見る「自分」と「他人」の線引き

線引き

身体的に障害のある方には、自分ができることと人に助けてもらうことの線引きがうまくできている人が多いといいます。

もともと健常者に比べて生活に不便があるぶん、逆にしっかり自分のできることに目を向け、なんでも助けてもらうのではなく「ここからはサポートがいる」ということをわかっているのです。

これは、なんでも自分で頑張ってしなくてはいけないという心理に陥っている私たちにとって、実に学ぶところが多い考え方です。

たとえば、「子どもが食べやすいように野菜を小さく切ってやる」というのは自分のできることですが、「それを子どもが食べるかどうか」というのはただの相手の反応であり、自分の力の及ぶところではないのです。

介護についても同じことが言えます。
最終的な結果が思わしくなくても、なにもそれはあなただけが悪いのではないのです。

音を上げたり助けを求めることは、負けではない

負けではない

完璧主義者で、がんばりやさんの人ほど「うつ」のリスクが高まります。
そのような人たちは、途中で音を上げたり外に助けを求めることを「悪」だとか「負け」だとみなしている傾向があります。

でもほんとうにそうでしょうか?

ここはひとつ、感情的にならずに事実を客観的に眺めてみましょう。

子どもがどうしても言うことを聞いてくれない、親や義親の世話に手を焼いている。
自分なりにできることはして、それでも相手の態度が変わらないようなら、もうあとはなるようになれ精神で、無理やりなんとかしようとしないのも手です。

彼らも人間ですから、なかなか思い通りにはいきません。

そしてできることなら、配偶者や他の家族に助けを求めたらいいのです。

子どもや介護だけに限りません。

仕事などほかの場面でも、自分の中だけにもやもやをため込んでいては空気が淀んでしまいます。
周りにどんどん吐き出して、そのぶんまた誰かのもやもやを外に流してあげるのです。

「一人で頑張らなきゃ」と思い込んでいるのは、案外自分だけかもしれないのです。

そう思うことで、少なくとも私はとても楽になりました。

(ライター:陽月深尋)

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