「お前と手を繋ぎたくない」と言われた私がアトピーを治した話【その2】

フライドポテト

思春期の子どもにとって、アトピーは精神的にもとてもつらいものです。
幼少期からアトピーに悩まされてきましたが、成長するにつれてだんだんとアトピーの存在を無視するようになっていきました。
それはアトピーの苦しみから解放されたのではなく、ほかに考えることが増えたからです。

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小康状態にあった中学生の頃

成長にしたがって免疫力がつき、中学校に上がった私のアトピーは少し収まっているように見えました。
ステロイドを使用しなくてもいい期間も長くなり、夜中にかゆみで眠れないこともほとんどなくなりました。

母の作ってくれる栄養たっぷりの食事を摂り、元気に過ごしていました。

たまに友達とマクドナルドに行って、ハンバーガーを頬張る瞬間は本当に幸せでした。

しかし、あかぎれや膿はあまり出なくなったものの、どういうわけか右手だけだったアトピーは徐々に左手に侵食していきました。
皮膚が薄くなってガサガサとし、手の皮が剥けてしまうのです。

これはかなり怖い経験でした。
まるで右手から左手にアトピーが感染しているように思えたのです。

小学生の頃、男の子にからかわれて言われた「アトピーが伝染る」という言葉が私の頭に蘇ってきました。

受験ストレスでアトピーが悪化した高校生の頃

受験ストレス高校生になった私を待ち受けていたものは、「不規則な生活」でした。
高校二年生の頃から塾に通い始め、放課後はコンビニでカップラーメンや甘いスイーツを買って塾で食べ、さらに帰宅してから遅い夕食を摂るという生活が始まりました。

もともと完璧主義でストレスを受けやすい性格だったことも手伝い、アトピーは悪化しました。
正直に言って、アトピーなんかに構っている場合ではありませんでした。
高校生の私にとって、受験はまさに「人生がかかった」大勝負だったからです。

しかし、包帯を巻いた手ではペンを握るのもおっくうでした。
膿が出てガーゼにくっついてしまった皮膚をはがし、風呂あがりに包帯を巻く時間さえも惜しかったです。

食べまくって、徹夜しまくった二十歳の頃

大学生無事大学にも合格し、大学生になった私は自由な生活を謳歌し始めました。
先輩と大盛りラーメンを食べに行き、友達とスイーツバイキングに行き、母のお弁当を断って、学校の売店で菓子パンを買って食べました。

カラオケで徹夜、友だちの家で徹夜、生活習慣も乱れていました。

それでも毎日が楽しくて仕方がなく、ステロイドでアトピーを押さえ込みながら、素敵なキャンパスライフを送りました。

→次回は、「留学でまさかの落とし穴! 食物アトピー再発」です。

アトピー・アレルギー改善にプラセンタ

(ライター:陽月深尋)

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