「お前と手を繋ぎたくない」と言われた私がアトピーを治した話【その1】

幼稚園児

私は、生まれた時からひどいアトピー持ちでした。

娘のアトピーが、健康に関心を持ったきっかけだった」もご覧ください。母に聞いた範囲で、幼少期のアトピーの状態を書いています。

もうあまり覚えていないのですが、週に一度はお医者さんに通い、長い待ち時間に耐えてステロイドをもらっていたそうです。

興味を持つものに触れることが罪だった幼児期

幼稚園に入ると、初めて見るもの、触るものがいっぱい。子どもたちはそこからいろいろなことを学びます。
友達と団子をぶつけあった、どろんこ遊び。
誰もが芸術家になれた、クレヨン遊び。
アスリート気分でぶらさがった、鉄棒遊び。

幼稚園にいるあいだ、めいっぱい学び、めいっぱい遊びました。
そして、そのおかげでアトピーはどんどん悪化していきました。
幼稚園児が興味を持つことは、すべてアトピーを悪化させたのです。

特に症状がひどかったのが、利き手である右手と耳。
触られずとも痛いのに、そのうえ中耳炎をこじらせていたこともあり、耳鼻科での診療は二重の意味で苦痛でした。

髪の毛はもちろん耳にかからないように、ほとんど刈り上げ状態。
「可愛い女の子」という形容は、私には似合いませんでした。

「自分は汚いんだ」と思った小学生の頃

ミイラ小学校に上がると、耳のアトピーは改善しました。
けれど、小学校には、掃除の当番やドッジボール遊びなど、アトピー持ちの子どもにとって避けられないイベントがたくさんありました。

自我も目覚めているので、自分だけ特別扱いというのも屈辱的で、できるだけ普通の子と同じことをしていました。

ポケモンシールがついたパンを買ってもらえなかったのが、悲しい思い出です。
それでもお小遣いの範囲で、安い駄菓子などを買って食べていました。
ダメだと言われると、食べたくなってしまうのです。

当然ながらあかぎれも多く、常に包帯を巻いていました。
そんな私の右手からは絶えず膿のようなものが出て、包帯は黄色く染まっていました。

ある日、小学校の遠足で、男女ペアで手を繋がなくてはいけないことがありました。
小学校側からすれば、友達同士の親睦を深め、安全性も確保できる方法だったのでしょう。
でも、私にとっては苦痛でした。
軽く抑えられるだけでも手が痛んだので、できることなら誰とも手を繋ぎたくなかったのです。

そんな私の心配は、杞憂に終わりました。

「お前となんか、手を繋ぎたくないんだよ。気持ち悪い」と、ペアになった男の子に言われてしまったのです。

ああ、自分は誰かに触れてもらうことさえできない、汚い人間なんだ、と幼心に思ったのを今でも覚えています。

→次回は「思春期の私はアトピーを無視した」です。

アトピー・アレルギー改善にプラセンタ

(ライター:陽月深尋)

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